大阪城、姫路城の旅
こんにちは。武蔵野市 吉祥寺 さくま歯科 佐久間琢です。
今回は久しぶりの旅日記です。
関西方面へ、お城見学です。
(私は歴史があまり得意ではないので少し事実関係が違うかもしれませんが、
ご了承ください。)
まずは豊臣秀吉が築いた権力の象徴、大阪城へ。
伊丹からバスと電車でアプローチ。
朝日が大阪城を照らします。
大阪夏の陣で落城、焼失し江戸幕府の再建後は落雷で焼失。
手前にかかるのは極楽橋
豊臣秀吉が大阪城下に町を築き、
江戸時代には天下の台所と言われる流通と経済の中心になる訳ですね。
大阪夏の陣図屏風を元に再建された大阪城天守閣
鯱が金色です。
この金色は大阪らしい商才と進取の気性に富んだ印象です。
朝日に輝いていました。
次は池田輝政築城の国宝姫路城です。
姫路城は50年に1度の保存修理中のため足場が組まれていました。
外側から城を見るチャンスです。
時代劇に登場する江戸城はほとんどが姫路城です。
徳川吉宗が主人公の暴れん坊将軍でもお城のカットが多様されていますね。
今度の大河ドラマも姫路城みたいです。
スーパーゼネコン鹿島のジョイントベンチャーです。
歯も建築物もメンテナンスが重要!!!!!
補修工事期間中の特別展示。
甲冑が並びます。
厳つい雰囲気。
大天守から降ろされた鯱瓦です。
結構、大きかったです。
修復された時代ごとに形が違います。
木造建築を火から守るために水に関連するものを設置したと言われています。
鯱が天守閣を守っていたのですね。
邪気を寄せ付けないようにするための鏡石。
大きな石が積まれていてよく見ると顔のように見えますね。
主要な城門のため大面石を積んで魔除けとしたようです。
内側から敵に向けて鉄砲や矢を射るための窓が開いています。
丸い窓は鉄砲用で、長方形の窓は弓矢用。
石を積む技術は角で決まるようです。
角が上手く積めると高い石垣が可能になるのだそうです。
石垣は戦国時代の鉄砲伝来により戦術が大きく変化し、
織田信長、豊臣秀吉の政権下で城郭に採用されるようになりました。
後の徳川政権でさらに石垣の構築技術が進歩して行く事になります。
建物の建築は歯の治療に似ていると感じます。
時代の変遷と共にマテリアルやテクニックが改良され進歩します。
修復した時代によって石垣が変化して行きます
羽柴秀吉の時代から明治以降の石垣まで5期に分かれるそうです。
天守閣は海抜約90m。
姫路駅の辺りが外堀でその内側に城下町がある総構が特徴です。
内堀との間にもう一つお堀があったとか。
西側は山が広がりますが、南側はかなり開けています。
屋根目地漆喰は熊本城、明石城、松山城でも採用されていますが、
姫路城では外
投稿日:2013年1月18日 カテゴリー:旅日記